惰性日記

惰性で生きてる

「あの頃の未来」に、立てなかったこと

ずっとブログやりたいやりたいと、twitterなんかで言ってきた。

それはいつもいい映画観たときとか、本読んだときとか、ライビュ行ったときとか、

その時々の感動を、140字に縛られずに過不足なく

その時々の自分の言葉で書き留めておきたかったからだった。

しかし、やるやる詐欺の常習犯であるところの私は、いつものように

「やりたい!」というだけで終わっていた。

 

そんな私がついにブログを始めるに至ったのは、

SMAP解散の報道があったためだった。

 

当初、思い描いたブログ像とは異なる出発点に立ってしまったが(この時点で既に「あの頃の未来」に立ててない)、めんどくさがりの私が、こうして書かなければ気が済まないと感じるくらいの存在だったのだ、彼らは。

 

だって、そうだ。

SMAPは結成28年、CDデビューから25周年。彼らのCDデビューの年に生まれた私は、

SMAPがいない世界に生きたことがない。

今更テレビ・洗濯機・冷蔵庫のない生活なんて考えられないくらい、

今更彼らがいない生活なんて、考えられないのだ。

そして今回、その考えられないことが、起こった。

ずっと続くと思っていた、当たり前に存在するものだと思っていたものが、

実はそうではなかったことを思い知らされた。

 

 失恋した後の喪失感のような気持ちでこれを書いてはいるのだけれど、それでも改めて私の人生の中でのSMAPの思い出を思い返すと、一緒にそのころの色んな感情を思い返して少しだけ懐かしいような気持ちにもなった。

 きっとこんな風に、SMAPのことを思い出すときに懐かしい気持になる人が何万人も存在するんだろうと思う。私だけじゃなくって。

  

 私がSMAPに、きちんと出会って好きになったのは、中学1年生の夏だった。ある日、SMAPファンの友達に、「うちでかき氷食べない?」なんて誘われた。家にかき氷機がなかった私にとって、かき氷機持ちの家庭にいる彼女の誘いは何よりも魅力的だった。二つ返事でついていって、かき氷をごちそうになっていると、徐に彼女が1本のVHSテープを取り出した。それは、木村君ファンの彼女が録り貯めているSMAP出演番組のテープだった。120分録りを3倍で録画しているそれを見ようと提案してくる彼女に、特に断る理由もなかったので頷いた。かき氷をごちそうになっている身なので、きっと彼女が何を持ち出してきたとしても頷いたと思う。

 そして再生された番組の木村君を見て、まんまと私もその魅力に憑りつかれてしまった。

 もともと小学生のころから、サタスマは流行っていて、慎吾ママなんか当たり前みたいに好きだった。当時の私の周りの女子小学生がみんな大好きなのがモーニング娘。だったのだけど、うたばんでの中居くんとモーニング娘。の絡みも大好きだった。それでも、あの夏の日が私にとって印象深いのは、SMAP5人の中で輝く一人ひとりに出会ったからなんだと思う。

 その日以来、彼女の家で木村君主演のドラマを見たり、とにかく入り浸った。今になって思い返すと、最初は木村君にときめく彼女に共感したくて、共通の話題がほしくて、一緒になって木村君について騒いでいただけだったかもしれない。だけれど、色んな映像を見ているうちに本当に好きになってしまった。特に、5人の中にいる彼が好きだった。今でも一番好きなシーンとしてすぐに思い出せるのは、スマスマで平井堅さんとコラボして「POP STAR」を歌ったときの映像。あの煌めきには本当に胸が高鳴った。

 そんな出会いのあの日から十数年経った今でも、私は飽きるどころか、常に「今」が一番彼らのことが好きだと思う。人生の節目にはSMAPの楽曲があったし、スマスマのコントも話題や流行になったし影響も受けた。確か大学受験のときはアルバムのs.m.a.p聴いてたなあ、とか。

 「いつか社会人になって、お金を稼ぎ始めたら、ファンクラブに入ってコンサートに行こう!」というのが、私の夢のひとつだった。

 私自身もこの十数年いろいろと、紆余曲折あったのだけれど、昨年ようやく就職し、自分で稼ぐことができるようになった。ようやく、夢をかなえることができるところまでやってきた。

 最近では2年に1回のコンサートツアーが恒例になっていたから、今年、遂に夢がかなえられるんだろうと思って頑張ってきた。もちろん、このためだけに頑張ってたわけでもないんだけど、何かあると「私はコンサートに行くために頑張るんだ!」なんて自分を鼓舞したりもしてた。

 そして今年1月にあの報道。

 まあ、しかし、彼らにこの手の話題は付き物というか、よくある話だろうなと思っていた。

 時間が進むにつれて、出演番組が目に見えて減ったり、番協やファンクラブも様子がおかしいなんて情報を聞いても、どこかで「きっとなんとかなるだろう」と思っていた。それは27時間テレビでのドラマであんな風に解散を表現されていたのをみていたからでもあったし、5人旅での5人の様子を見ていたからでもあったと思う。だって誰だって、今更、冷蔵庫が世界からなくなるなんて想像もしない。

 だけれども、こんなタイミングで、突然、こういうことになった。

 彼らの決めたことならそれでいい、と、思いたいのだけれども、今はそう簡単には思えそうもない。それくらい、色んな感情を彼らに託しすぎていたのだなあと気づかされた。そんなに物わかりのいい人間ではないので、そして未練がましい人間なので、しばらくは色んなことを言わなければ気が済まない思う。

 

 今年度で解散ということで、私はあの頃の私が思い描いた未来に、もう立つことはできなくなってしまった。

 どんなことばも陳腐に感じるくらい、色んな感情がある。残念ってことばの持っている意味のレベルよりも残念だし、悲しいってことばで伝えられる感情の大きさよりも深く悲しいし、寂しいってことばの意味よりも虚無感が大きい。だけど、伝えたいから、ことばにせずにはいられない。

 全てが思うほどうまくはいかないってことは、社会人として少しばかりだけど生きてみてわかった。こんなささやかな願いもかなわないんだな、って思う。

 「全てが思うほどうまくはいかない」って、「100の出来事のうちの100全てがうまくいくわけじゃない」って意味じゃなくて「100の出来事の全てが、自分が想定していたよりもうまくいかない」って意味なんだろうなとふと思った。

 もとより綺麗に整理された物語が語られてない今回の幕引きなので、私の気持ちもこの記事も、整理整頓しないままで終わろうと思う。

 話題の入れ替わりが速いので、このままなんらかの形で自分の感情を、納得できる形に押し込めてしまったら、簡単になんでもなかったことみたいに忘れてしまいそう。結構大事にしてた夢だったから、しばらくはちゃんと傷ついていたい。

 

 

 

 さて、今後しばらくは好きな曲について語る記事とかを書こうと思います。映画も観たらその都度感想書きたいです。今日、ゴーストバスターズ観てきたので、とりあえず次回はそれについて。